夕日

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敬老の日、私の祖父、祖母はとうに逝去し、
身近な父親、母親により敬意を払うことが多くなった。
私にも子がいれば、子供目線から父母をおじいちゃん、おばあちゃんと呼ぶこともあるっただろうが。
要は、年配の方に感謝する切掛けとなれば、敬老の日なのだ。

祖父も祖母も厳しい人であったと聞くが、
自分や孫たちには優しかった。体の衰えと戦いながら、または受け入れながら
家族との時間を大切に過ごしていた。そうして最後の時を過ごした。

子供心に、まず死を実感するのは、祖父・祖母の死だろう。
何時までもいるかのような人が、二度と会えなくなって、姿も形もなくなってしまう。
しかしお墓として、骨として、位牌として、精神として今も寄り添い、供に歩んでいくのだ。

昔は億劫であった墓参りも、今では先祖への感謝の念を忘れないよう
自然と受け入れられるようになった。
家族、実家に帰った時に、どうにもなく落ち着く感じは受け入れられ、
居場所があるという感触なのだろう。
姿形無くなっても拠り所を残しておく。
そうすることで、家族が家族で分かり合えるのだ。
祖父・祖母のことを思いながら、今の家族の繋がりも保っていくのだ。

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」