千畳敷カール

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うだるような暑さの季節には、高原に人気が集まるのはよくわかる。
私も涼を求めつつ、高原の雄大な自然を感じたく駒ケ根の千畳敷カールに行った。
畳を千枚敷けるような広さのカールに圧巻。
高原では霧が度々辺りを包み、視界良好とはいかなかったものの
霧に包まれた時に訪れる、光と音の静寂に心の安らぎを得た。

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遠目に見ているときは遥か彼方に見える山頂も、
一歩一歩進んでいくという行為は力強く、
あっという間に昔の自分がいた場所が遠くに見えることに気付く。
山頂を見るのも、振り返るのも、未来や過去の自分の居場所を見るような
時間の流れを感じられる。

国道120号 いろは坂

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日光を代表とする道といえば、いろは坂
日光東照宮から華厳の滝中禅寺湖へと誘う道。

私は子供のころ小学校の遠足でここに行ったことを覚えている。
ひたすらのワインディングで途中酔ってしまう子もいたり、
大型のバスは切り返しが必要で、ものすごい渋滞する難所という記憶であった。
しかし今日この頃は、道路は二車線部分も多く(昔から?)、意外とすいすいと、
難なく駆け上がっていくことができた。むしろこのワインディングがドライブとして楽しい程だ。
同じ場所であっても、大人になり久しぶりに行くと、子供の頃感じていたことと
記憶のギャップがあるのもまた人生の楽しみの一つ。
日光東照宮やら華厳の滝でも同様のことを感じた。

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はじめは鬱蒼とした森の中を突き抜ける道だが、登るにつれ視界が晴れ、
青い空から山々が見え清々しい。
ハンドルさばきも忙しい中、あちらこちら見渡してしまう。
f:id:route99:20170703224929j:plainいろは坂の象徴といえばつづら折りのヘアピンカーブ毎にある「い」「ろ」「は」標識。
いろは歌は、日本語50音を連ねたものであることはご存知の通り、
元々は仏教の経典、涅槃経の一部を和訳したものでもあり、
例えばうたい出しの「色は匂へど散りぬるを」は涅槃経の「諸行無常」を表したものだそうな。
子供のころの記憶と対比しつつ、答え合わせを今更するような気分で坂を登って行った。
大人になって文化や歴史に感銘を受ける機会があることは嬉しいこと。

紅葉の時期にまた行こう。

木漏れ日の径

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梅雨入り前の貴重な晴れの日に、山に登る。
夏の香りすらするじりじりとした日だったが、
山の稜線上では風が強く吹き、汗冷えで凍えるほどだった。
森の中をてくてくと歩いていると、強烈な木漏れ日が射してきた。
風のざわめきとギラギラとうごめく光がにぎやかだった。

姨捨の景

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高速道路をひた走り家に帰ることは多い。上信越道から分岐し長野自動車道に入り、
そろそろ休もうという気になるのが姨捨(おばすて)SA。

姨捨という名前に惹かれて止まったのが初めての訪問。
寒い冬の夜だったが、街の灯が映し出された夜景が綺麗だった。
その後、何度かこのSAに寄ったのだが、昼間に寄る機会が中々無く、
あの綺麗な夜景の昼の顔が長い間わからなかった。先日初めてその素顔を見た。

姨捨という名前から、なんとなく仰々しい景色を思い浮かべていたが、
長野の農村のゆったりとした新緑風景に癒された。
この地はいわゆる高齢の母を山に捨てるという伝説とゆかりがあるのだろうが、
調べていると、そうでもないという記述もあり、詳細な説明は書くには長すぎる。
今度は高速道路ではなく、下道を通って、この地でゆったりとした時間を一緒に過ごしたい。