長野県道・岐阜県道39号奈川野麦高根線 あゝ野麦峠

晴れればバイクで旅に出るし、雨が降れば車で旅に出ればよい。
そう思って旅に出ようと思ったのは、野麦峠
何年か前にいって、地味な道ではあるのだが歴史を感じた道で記憶に残っていた。
このブログにも書いたと記憶しているのだが、現に探してみると残っていなく、
記憶違いということはなかろうが、どこかのタイミングで消してしまったようだ。

そんな記憶の答え合わせを、とも思って岐阜県道39号側から野麦峠に向かった。
国道361号は車通りも多いにぎやかな道なのだが、県道39号に入ると
交通量も減ったひっそりとした道だった。

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トラックも通行できない道であるし、松本側に抜けるにもこの道はわざわざ使わないだろう。落石はそこまでではなかったが、道は細く所々離合が困難なところあり。
峠が好きなのだが、困難な峠道にはだいたいトンネルが通るようになり、
情緒に満ち溢れた峠そのものは素通りされるようになってしまった。

こうしたひっそりとした道であるからこそ、トンネル採掘のお世話にもならず
歴史ある野麦峠は残されているのだと感じた。
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県境となる峠にはお助け小屋があるが、平日のこの雨の中誰もいないし、
既に閉まっている様子だった。雨はひどくなる一方だが、
飛騨から諏訪の製糸工場に向かった女工の苦労はこんなもんじゃなかっただろう。


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展望台には病に侵され帰郷中「あゝ飛騨が見える」といって息を引き取った
政井みね碑がある。
道路をはずれれば、すぐさま山の登るかのような険しい道となり、
10分もしない展望台への道だがすぐさましんどい思いになる。
こうした道を冬の寒い中、雪の降る中往来したであろう女工達に思いを馳せる。
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過去を振り返ると、今は便利になったと思うばかりだが、
今も昔も、生きる時代の中で懸命に働いている姿は変わらないだろう。
政井みねと、兄・辰次郎の表情それぞれに、この時代の苦しさに立ち向かう
確固たる思いを感じた。

 

今週のお題「雨の日の過ごし方」