大阪という街

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大阪という街のパワーは凄い。
同じだけの人数が集まった時、ただ人が多い、「人混み」という形容では
到底言い表せない活気と元気を感じた。

ミナミとキタ、よくわからない。道ではなく筋、よくわからない。
お好み焼きが美味しい。二度漬け禁止にひたすらこだわる串カツ屋。
ゆるキャラではなく宇宙人のようなマスコットキャラ。

ここに住んでいる人にとっては当たり前のことなんだろうが、
自分にとっては、日本とはちょっと別の空間に紛れ込んだような
味のある街だった。

Grand Canyon

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Grand Canyonの魅力といえばなんだろうか。
圧倒的な自然のスケール。悠久の時を感じさせる大地の変遷。
Grand Canyonに限ったことではないけれど、
そこにあるものに時を忘れて思いを馳せることができるような場所で
自然と一体になったような、時を超越したかのような気分になる。

また、あの時、あの場所に行ってみたい。

雲海と富士山

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南アルプス北岳に登頂したとき、雲海に望む富士山を見た。

日本一の山は皆当然のように富士山というが、二番目はあまり知られていない。
そんな二番目に高い北岳に登頂した。
名前も無個性のように単純だが、歴史のある山は大抵単純な名前なのだ。
昔の人は名前を個性的にすることではなく、
シンプルで短くありのままにすることが心に残るという美的感覚を持っていたのではなかろうか。

3000m級の山を登るということは、森林限界を超え、低層雲を超えることであって、
そこには荒涼とした岩稜と雲海が聳え立つ別世界なのだ。
北岳から南を見た景色は、やはり3000mを超えた富士山しかなかった。

そんな非日常を味わいたくて、また週末をつぶして登山に旅立つのだ。

夢ヶ崎

f:id:route99:20171001223220j:plain山口県にある角島の最端。
延々と走り続け、日が沈むころに着いた角島。
その端にあるの夢ヶ崎に着いた頃には既に日が沈みかけていた。

夕日を見るため、日が沈むのを沢山の人が待っていた。
私も何をするわけでもなく、じっと夕日が水平線に沈むのを待っていた。
光と影が反転するかのような狭間の日没の時間。

もう一日が終わる…ことは寂しいことではない。
なんのことはない、日が沈むと夜が始まるのだ。

西穂高登山

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西穂高に登るには、大抵は西穂山荘に一泊し、朝から山頂へアタックする。
山荘に泊まるということは、夕日も朝日も拝めるのだ。

西穂山荘までは新穂高ロープウェイを使い、登山を開始してから2時間程度だったろうか。
割と山荘には早く着き、ゆっくりと夕日が沈むのを眺めていた。
夕食まではまだ時間がある。

夕日の沈む先には、立山や白山が見えていただろうか。
暖かいコーヒーでも飲みながら、携帯をいじることもせず、
ただ時間が過ぎていった。
何もすることがないというのは、それだけ新しい何かを感じることがある。
山で夕日を見ていて、私は人生の終わり方について少し考えた。

山で見る朝日をご来光と持て囃すが、夕日にも特別な名前があってもよいのに。